書評シリーズ第7回 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
「ウィスキーには人々の物語が詰められている」
第7回目は、村上 春樹氏著の『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』です。
この本は著者がもともと夫妻とプラベートなアイルランド旅行をする予定だった折に、たまたまウィスキーに関する仕事が来たため、せっかくならとウィスキーの聖地である、スコットランドのアイラ島とアイルランドを巡った際の見聞をまとめたエッセイとなっています。
村上 春樹氏は「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」など、数多くの名文学作品を発表されてきた日本を代表する作家です。(私も学生の頃に夢中になり読んでいました。)
本作では、現地で撮った写真を挿絵代わりに、訪れた蒸留所やバーなどの人々との交流について綴っており、この本を読んでいると、まるで現地にいるかのような雰囲気を味わうことができます。
彼特有の比喩表現が随所にちりばめられており、読んだ者にその情景を思い浮かび上がらせる所はさすがといったところです。特にウィスキーやご当地グルメに関して、これほど美味しそうに描写する人はそうそういないでしょう。(村上 春樹氏は作内での食事の描写がとても美味しそうに感じられることで有名です。)
さて、冒頭でもお話ししましたが、第1編でシングルモルトの聖地であるスコットランド西海岸にある「アイラ島」を訪れます。
「アイラ島」には7つの蒸留所が存在し、良いウィスキーを生み出すための原料である大麦、良質な水、豊富なピート(泥炭)が揃っています。特にこのピートが独特な風味を生み出し、世界中の多くの愛好家を魅了しています。
著者はまず地元の小さなパブでこの7つのウィスキーを飲み比べ、同じ島で作っているにも関わらずそれぞれに個性があり、しっかりと棲み分けがされていることに驚かされています。
その後著者は、実際に7つの蒸留所のうちの「ボウモア」と「ラフロイグ」を訪れます。
「ボウモア」は未だに手作業を重視する伝統的な生産方法なのに対し、「ラフロイグ」はコンピュータ制御を導入した、効率的で近代的なやり方を採用しています。どちらの方が良いというのではなく、それぞれに合ったやり方があり、個性の違いなのだと著者は述べています。
また、著者は作中で「ボウモア」蒸留所マネージャーであるジム・マッキュエン氏と仲良くなっています。(二人仲良くボール遊びに興じている写真が載っています。)
マッキュエン氏は、アイラ島のウィスキーについて、”たしかにアイラ島は上質な大麦や水、潤沢なピートもあるが、それだけではここのウィスキーの味は説明できなく、一番大事なものは「人間」なのだ” と述べています。
そこには人々の生活があり、それぞれのパーソナリティーがこの味を生み出しているのだ、と。
確かに、同じ材料・機材等を使用したとしても、そこに携わる人々が変われば、また違った物が出来上がります。
世界中を魅了しているアイラ島のシングルモルトを生み出しているのは、まさにそこで生活をしている人々の”思い”なのです。
その後筆者はアイルランドに移り、そこでの日常に溶け込むようにパブでアイリッシュウィスキーを賞味します。
アイルランドは緑豊かで食事も美味しく、のんびりと過ごすのに向いているとのことです。ちなみにアイルランドの良さは、帰国してからより理解できるとのことでした。
とあるパブに入った時に出会った、一人ウィスキーを嗜む70歳くらいの老人との無言の交流を、現地の街の一部かのように描写する場面は、われわれに何か考えさせるものがあります。
そこには言語の壁を超えた、「ウィスキー」という言葉での交流がたしかに存在していました。
昨今の資本主義社会においては、数字や結果を重視する風潮にあると思いますが(もちらんビジネスにおいては特にそれらも重要だと思います。)、結局の所、その数字や結果を生み出しているのは「人」であり、彼らの熱意や思いこそが世の中に良いものを生み出しているのだということを、われわれは忘れてはならないとこの本を通じて感じました。
私もこれから「人」として、投稿を通じてみなさんに何かを伝えることができたら幸いです。